初心に戻って思い出す

WoTのプレイヤーは誰しもなにかしら得意な車両や車種を自分の中に持っているものだが、私は重戦車で特に重量級と呼ばれるものの扱いに長けているといわれている。なんでこうなったのかは過去を振り返ればわかってくることだ

 

元々TDから始めたWoTだったがいつしかMTの方が楽しくなり、最終的にはHTへと落ち着いていった。それぞれのきっかけっていうのは割と鮮明に覚えているものだしそれなりに安直なものだ

TDにハマったきっかけはヘッツァーの10榴だった、1撃で同ティアの戦車をゴリっと削れるあの快感は今の4005やJagd.E100に近い感覚を目覚めさせてくれた、大火力というものはここまで気持ちを高ぶらせてくれる、そう確信してしばらくTDに乗っていた。

しかしTierが上がるにつれて自分ではどうしようもない事態が発生し始める。それがTDの限界だと告げるようにMTがマップを縦横無尽に駆け回り、戦況を大きく動かしていく。彼らのように戦場を掌握できるのであればそれはそれで快感であろう。そう思ってMTルートを進め始めた。

そしてE50に出会った、それなりの速度にカッコいい外見、優れた砲性能とTier9にして破格の装甲厚。まごうことなき主力戦車の圧倒的力に私は心底酔狂した、World of Tanksというゲームはこんなにも考えさせられるゲームだったのかと。

しかしまだ進化の余地はあった、E50特有の装甲厚によるブロックダメージ。これはMTが持つ装甲でこれなのだから果たして最上級のHT達ではどれだけはじけるのか、どれだけ粘り強く戦えるのか…と。

そしてE100への道を踏み出した、Tiger1やTiger2こそ思ったものと違ってはいたが、E75とE100はとても同じルートとは思えないほどに力強く、そこには大きな魅力があった。一撃で大ダメージを叩き出す強力な砲と堅牢な車体装甲、扱いやすい面の多い砲塔の装甲配置はMTとは違い直接的な戦闘に大きなリソースを割く必要こそあったが、そこには自分の求めてきた理論的な戦いではなく直感的な戦い方があったのだ。

特に敵に囲まれ、2 ~ 3対 1の状態になったときに頭の中がフル回転する感覚は今でも癖になるほどに痺れる。敵がどこを撃とうとしている、今さっき撃った敵はあと何秒で装填が完了する。あの位置の敵から見た角度では装甲は有効に作用するのか、わずか数秒の間に考慮すべきことや発生するイベントに対して思考が次々と沸いて出てくる感覚、それを処理するために脳がフル回転するその一瞬が非常に心地よいのだ。

この感覚が好きでたまらない、だから重戦車に乗り続けることができたし、今もそうありたいと思っている。

気持ち悪っ、と思うかもしれないが今思えばWorld of Tanksがここまで楽しいと思えたのも、TBを続けることができたのも、こういった純粋な楽しみ方を知っていたからなのかもしれないと思ってね。今はやれ車両が必要だやれ実力がどうだやれWN8がどうだと、気にすることが多すぎてみんなも素直にゲームを楽しめていないことがWoT界隈が内包する負の感情の大きなところかもしれない。

 

目的と手段が逆転し、それに伴う結果が目的と化している今のWoT界隈でこういった考えで戦っていくのは厳しいかもしれない。

皆が一様に口をそろえて言う、ダメージを、優等を取れと。

皆が一様に賛美する。あの人はダメージを出すから強い、あの人は優等を持つから強い。

皆が一様に目指す、彼の人のように強くありたいと、そうなるためにはダメージを出せるようにならねばならないと。

この感性は決して間違いではない、しかし違うのだ、私たちは楽しむために強くなる必要があったのだ、楽しむために考えねばならなかったのだ、それにただ結果がついてきただけであって結果が目的ではなかったはずなんだ。

一度胸に手を当てて思い出してほしい、自分がTier1からこのゲームを始めたときの新鮮な感覚を。